夜の山道、老人と私

引き止めなければと思ったその時、先日と同様に、老人は奇声を発した

「いやだ!いやだぁ…!離せ!この悪魔め!」

先日と違うのは、引かれているつもりの腕を振り回し、何かを振り払っている事

「悪魔って…、凄い言われようだこと…」

私は老人の言葉を聞きながら、ご家族に少し同情した

きっと、普段から悪態をつかれる事も常だろう

それでも本人に悪気はなく、病状を知ればこそ、無下にも出来ず…

そうかと言って、真っ直ぐに向けられる言葉は少なからず突き刺さる

時には言葉だけでなく、実際に爪を立てられ事もあろう

介護の辛さはそこにあるのでは、と思うが、私自身は経験したこともなく、その真実はわからない

「はなせ、はなせ、はなせ!あっちに行けぇ…!くるなぁ!くるなぁ!」

依然、暴れ続ける老人は今にも泣き出しそうな声で懸命に抗っている

これ以上放っておくと怪我をしないとも限らない

急いで老人の傍に駆け寄ると、振り回しているその腕を掴んだ
私が腕を掴むと、いよいよ連れて帰られると観念するかの様に俯き、悲しそうに呻き始める

「いやだ…、頼むから、お願いだからもう少しだけ待ってくれ…」

「やっと見つけたんだ、すぐそこなんだ…」

「頼むから、頼むからもう少しだけ…」

その声は掠れながらも、涙声だ

「安心して、私だよ」

極力優しく、可能な限り穏やかに、話しかけた

けれど、その声は届かないのか、俯いたまま泣いている

その余りにも哀しい声に私も釣られて泣きそうな気持ちになる

「安心して、ちゃんと着いて行くから…」

咽び泣く老人が余りにも可哀相になって、私はそっと抱きしめた

暫くすると落ち着いたのか、老人は静かに顔をあげた

そして、一言…

「あんたにはまだ早い…着いて来てくれるな…」

そう言って、にこやかに笑った