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井の中の蛙、大海を知らず。されど知らずに果てるは知らず。

我、未だ大海を知らず。
未だ見知らぬ海を求め、生き得る限り進み行く。
ここが全てと思わんが為、全てを賭けて進み行く。
大海知らいで果てるなら、哀れとぞ思えど幸とは思えず。
大海知らずして、あに井を井と知らんや。。

はい、これは以前某サイトで掲載していた短編詩です。
ちょっと読み辛い文体ではありますが、おおよその意味は感じ取っていただけるかと。
投稿しているサイトでは解説的な事はしないと決めていますので、ほとんど投げっぱなしの詩ですが、ここは私の自前サイトですので、ここぞとばかりに解説的なお話をしようと思った次第であります。

さて、あなたは「井の中の蛙大海を知らず」と言う言葉をご存知でしょうか?
多分、知っていますよね。
ざっくりと説明すると、井戸に住む蛙はそこが世界の全てと思ってしまっているという意味です。
つまり、見識や物事に対する視野の狭い人を指します。

けれど、それは一部の愚かな蛙の話であって、他の蛙はそうではないのでは?
という考えが、先ほどの詩に込められています。

井戸の蛙は、今は大海を知らないとしても、いつかは知りたいと思っているかも知れない。
なぜ、海を知らないだけでそんなに軽視されなければならないのか。
他人に対して「井の中の蛙大海を知らず」なんて自分の見識だけで相手を推し測って揶揄している本人こそが、井の中の蛙なのではないか?

私は正に井の中の蛙の様な狭い世界で生きていますが、いつかは広い世界を知りたいと思っています。蛙だってそうに違いない。
ならば、例え今は井戸の中だとしても、大海を知らずに果てる訳には行かない。
道半ばで倒れるとしても、力の限り大海を目指す。

知らない事は恥ではない。体裁を気にして知ろうとしない事こそが恥である。
将来の夢だったり、目標だったり、不相応な事だったとしても、それを何かしら理由をつけて諦めてしまったり、自分を騙して見ないふりをしたとしても、そこに何の美徳があるだろうか?
他人に話すのが憚られるのであれば内に秘めていればいい。誰にも知られない様に、密かに、陰ながら努力すればいい。例えそれが叶わなかったとしても、自分だけはその過程を知っている。自分だけはその意味を知っている。叶わなかった事は恥る事ではなく、自信を失う必要もなければ、その理由にもならない。
自分は戦ったのだ、と自分自身に誇っていい。
自信を持っていいんだ、と。

そう伝えたかった詩です。

こんな調子で、また某サイトから引用した解説も掲載していこうと思います。
そして、誰かの糧になれば幸いです。